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2019年9月19日木曜日

2019年9月18日 徳川家康の甲賀・伊賀越え第1回目 郷之口から永谷宗円生家

秋の歴史ウオークのスタートにふさわしい最適な気候に恵まれ甲賀伊賀越え一回目を開催させて頂きました。天正10年(1582)6月2日、織田信長の天下統一を目前に起こった本能寺の変。この時、堺にいた徳川家康は身の危険を感じ、武装していない三十四人の一行で、僅か3日間で伊賀を越え三河岡崎城まで逃げ帰りました。これが徳川家康が人生最大の危機と語った逃避行です。堺から岡崎城まで距離にして210キロを帰還したと言われる歴史の道の内最も危機に瀕したと言われる約40キロの甲賀・伊賀越えルートを歩きます。徳川家康は本能寺の後京都の知恩院で自害することも考えたが家臣の説得により思いとどまり、急ぎ駿河へ帰還することにしました。一行は飯盛山から枚方尊延寺を経て、「草内の渡し」から木津川を宇治田原の山口城主、山口甚介秀康の協力を得て土民に襲われる危険のある甲賀・伊賀の峠へ向かいました。今回は郷之口の山口城址からスタートして湯屋谷まで歩きました。平安時代よりこの地ではお茶の栽培をされており、煎茶の技法をあみだした永谷宗円さんの生家までご案内させて頂き、お茶の勉強会もさせていただきました。旅行の最後には宇治茶の壱之庄さんにて宇治茶のお買物をしたりお茶のソフトクリームなどを楽しんで頂き、帰路に就きました。今回も皆様のご協力のお陰で無事に終了することが出来ました。ありがとうございました。



























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